前回の矢沢心さんの取材紹介の記事の第4弾です。
日経デュアルの記事です。
http://dual.nikkei.co.jp/atcl/column/17/1111113/101900002/
下記は記事の抜粋です↓
(画像は日経デュアルよりお借りしております)
流産してやめた、二つのこと
流産しても諦めない。そう思ったとき、私は二つのことをやめました。
一つは日記です。
それまで、私は家事が終わって寝る前の深夜1時すぎに日記を書くことを習慣にしていました。
そこには、検診のこと、先生とどんな話をしたか、どんな薬を飲んで、
どんな治療だったか、その治療で体調がどう変わったかなど、
そのとき感じた気持ちや夫が言ってくれた言葉などをすべて書いていました。
そして、毎月生理が来ると、「あー、今月もダメだった……」と重い気持ちとともに日記を開き、
「ネイルをしたのがいけなかったのかな」「髪を染めたのがダメだったのかな」
「移植した日、もっと静かにしていればよかったかな」「重いものを持ってしまったからかな」
「動かなければよかったかな」と、授からなかった原因を探していました。
何かの原因があったと考えないと、気持ちが持たなかったからです。
原因があるのなら、次はそこを直せばいいと思えて、少しラクになれました。
けれど、赤ちゃんの心臓が止まって、ようやく気が付きました。
そうやって、ダメだった原因を探しても前には進めないし、
そもそも原因は私の生活だけにあるとは限らない。
院長先生も、
「流産はお母さんのせいじゃないんだよ。ほとんどは赤ちゃんの側に何らかの原因があって起こるものだから」と言っていました。
私にはどうしようもないことだってあるんだ。
「あれもダメ、これもダメ」というのは、
かえって自分をがんじがらめにしていただけじゃないか。
深夜に日記を書くことで寝る時間が遅くなり、朝起きてもあまり食欲が湧かず、
朝食が食べられないということもよくありました。
夫からも「健康な生活をしないと、赤ちゃんも来れないよ」と言われていました。
ダメだったことはもう振り返らなくていい。良かったことは振り返ってみてもいいけれど、
問題がないなら、何度も見る必要はないよね。それなら、夫の言う通り、
早く寝て、健康的な生活をしたほうがいいんじゃない?
そう思って、それからは一切日記を書くのをやめました。
やめてみたら、あら、なんてラクチンなんでしょう(笑)。
日が経つとともにちゃんと起きられるようになって、
朝食も食べられるようにもなり、「やっぱり、私に必要なかったんじゃん!」と思いました。
もう一つは、妊娠したら読もうと思って保管していた妊婦さん向けの雑誌などを全部捨てたことです。
これも、よく考えてみたら、本当に妊娠してから買えばいいことだと気付きました。
全部捨ててみたら、家の中も、気持ちもスッキリ!
妊娠中に役立ちそうな記事を集めることで、かえって自分にプレッシャーを与えていたのかもしれません。
「心は今、大事な仕事の真っ最中でしょ」
そうして1周期お休みした後、2度目の転院後、2回目の体外受精にトライしました。
今度も無事に着床しましたが、私はもう「これは通過点にすぎない」と思っていました。
枯死卵、流産を経験して、たとえ着床しても赤ちゃんが育たないこともあると、身に染みて分かっていたから。
「今回ももしかしたら…」という考えが、いつも頭の片隅にありました。
「胎嚢が確認できた」「心拍も確認できた」
と一つひとつステップをクリアしていき、つわりが始まりました。
かなり重いつわりで、妊娠6カ月の終わりくらいまで、
トイレとお風呂、歯磨き以外はベッドで過ごすようになりました。
不器用な性格なのか、中途半端で済ますことができず、
あれもこれもやらなくちゃ気が済まない私は、それまでのんびりしたことなんてなかったので、
夫からも夫の家族からも、実家の家族からも「安静にして」としっかりくぎを刺されました。
それでも、何もしないでいると不安が襲ってきて、
やめたはずの日記を書きたくなるときがありました。
そんなときは、流産のときに夫が言ってくれた言葉を思い出しました。
それは、やっぱりつわりで体がだるくて、仕事もあまりできず、
寝てばかりいることを夫に話したときのことでした。
「もっとちゃんとしなくちゃいけないよね」と言うと、
夫は私が考えてもいなかった言葉を返してくれたのです。
「何言ってんの? 心は今、大事な仕事の真っ最中でしょ」
この言葉が、どんなにうれしかったか。
そうだ、私が自分の体を大切にすることが、赤ちゃんを育てることにつながる。
そして、夫を幸せにすることにもつながっているんだ。そう思いました。
だから、今はのんびりしているのが仕事。そう思い直して、
本を読んだり、好きなDVDを観たり、思い切りダラダラして過ごしました(笑)。
掃除や洗濯、食事作りは夫ができる限りやってくれ、
仕事でできないときは、義母や実母が助けてくれました。
つわり中、食べられるのはカステラとクッキーくらいで、
おなかの赤ちゃんへの栄養が足りないのではと心配でしたが、
実母が「カステラには牛乳も卵も小麦粉も入っているから大丈夫!」と言ってくれたので、
「そうか、そうだよね」と思えて、心強かったです(笑)。
つわりが終わったときは、「また一つステップを上った」と思いました。
でも、その後も私はできるだけのんびり過ごすようにしました。
ゆっくり家事をしたり、犬の散歩をしたり、本を読んだり。
そうやって、出産までおなかの赤ちゃんを大切に守っていこうと心に決めていました。
セコンド役の夫と2人で迎えた出産の瞬間
出産の兆候が現れたのは、2012年の6月22日。予定日とピッタリでした。
夜中に陣痛が始まり、朝まで待って出産する病院に行くと、そのまま入院になりました。
昼になってもまだ産まれる気配がなかったので、
夫はそこから仕事へ行きましたが、仕事が終わるとまた病院に戻ってきてくれました。
スーツで出かけた夫は上着を脱いでワイシャツ姿になり、
陣痛が激しくなった夕方からはうちわであおいだり、腰をさすったりしてくれました。
「水じゃなくてジュースのほうが、果糖が含まれているから体力がつく」とジュースを薦められて飲んだら、
気持ち悪くなったりということもありましたが(笑)、気持ちはすごくうれしかったです。
あとで聞いたら、本人はすっかり「セコンド気分」だったみたいです。
看護師さんには体を起こしたほうが早く生まれると言われていたのですが、
あまりに痛過ぎて横になれず、四つんばいの姿勢になっていたら、
夫が「それじゃいつまで経っても出てこないって!」と、看護師さんと同じことを言うんですよね。
全然知らないはずなのに。
それで、その通りにしてみたら、それまでなかなか進まなかったお産が進み始めたのです。
最後は夫も枕元に上がり、「吸って」「吐いて」と呼吸の指導をしてくれました。
夫は特にお産のための呼吸法を知っていたわけではありませんでしたが、
基本はトレーニングの呼吸と同じなのだとか。
やっぱり、夫は私の名セコンドだったのかもしれません。
そうして、2人で一緒に、待ちに待ったときを迎えました。
生まれたとき、最初に頭をよぎったのは、「健康で無事に生まれてくれたかな?」ということでした。
「泣いた! あれ、泣きやんだ?」と、顔を見せてもらうまではまだ心配で、
分娩台の上から「顔を見せてくれますか?」とお願いしました。
赤ちゃんがそばに来たときは、「やっと会えた!」という思いでいっぱいになりました。
ああ、私はこの子に会いたかったんだなぁ。今までの日々は、あなたに会うためにあったんだね。
不妊治療を始めてから出産まで5年、私はようやくママになりました。
振り返れば、これが私たちのベストなタイミングだった
今になって思うのは、“授かり時”ってあるんだなぁということです。
私と夫が結婚したとき、まだ夫は現役で活躍する格闘家でした。
体も心も試合に向けて調整していくことが一番大切で、
試合前にはわずかな物音も立てられないほど、ピリピリしていました。
「お風呂に入っているときなら聞こえないだろう」と思って浴室で鼻歌を歌っていたら、
「うるさい!」と叱られたこともありました。本当に神経が研ぎ澄まされているんだなぁと思ったものです。
でも、それが夫の仕事。
そして、夫のコンディションを常に良い状態にするのが、家庭での私の仕事でした。
夫の健康状態を考えた食事、コンディションを整えるための環境作り。
もともと中途半端にできない私は、自分の仕事もしながら、
夫のこともおろそかにはできなかったので、私自身も全然余裕がありませんでした。
だから、もし夫が現役のころに赤ちゃんを授かっていたとしたら、本当に大変だっただろうなと思います。
夫中心のスケジュールの中に自分のスケジュールを入れて、そこに赤ちゃんが加わる。
ましてや、赤ちゃんはこちらのスケジュール通りに動いてくれるわけではありませんから、私はパンクしていたかもしれません。
私には、不妊治療、妊娠、出産を経験して、気付いたことがあります。
それは、すべてを自分一人でやる必要はないんだということ。
私は小さなころから、「しっかりしているけど、逆にそこが心配」と親戚にも言われていました。
でも、何でも自分でやろうとすることが、決していいことばかりではなくて、かえって迷惑をかけることもあると、
この経験で知りました。
自分を大切にして、誰かに甘えられるときは素直に甘える。
その分、自分ができるときには誰かの役に立てるようにする。
大げさだけど、人間ってそうやって生きているんだなということが、ようやく実感として分かったのです。
それが、赤ちゃんが生まれる前で本当に良かったなと思います。
私が一人で頑張り過ぎて困るのは、そばにいる家族だから。
夫にしてみても、当時はいつも試合のことを考えていましたから、
そこに赤ちゃんが入る隙間はなかったんじゃないかと思います。
待望の赤ちゃんが生まれた後、私はまた1カ月間寝て過ごさせてもらいました。
その間、義母や実母が交代で来てくれましたが、一番活躍してくれたのは夫でした。
赤ちゃんのオムツを替えたり、お風呂に入れたりと、
小さくて首が据わらないぐにゃぐにゃの赤ちゃんを夫は一生懸命お世話してくれて、夜も一緒に寝てくれました。
そんなことも、夫が引退した後に授かったからこそできたこと。
もし現役中だったら、赤ちゃんと触れ合う時間なんてなくて、いつの間にか大きくなっていたような感じだったかもしれない。
赤ちゃんも、なかなかパパに懐かなかったかもしれない。
そう考えると、不妊治療をした4年間は、とてつもなく長い時間だったような気がするけれど、
私たち夫婦にとっては必要な時間だったんだと思います。
そして、きっと人それぞれに“授かり時”はあるんじゃないかなと思うのです。
私にとって、そんな紆余曲折を経て授かった娘。
産後、赤ちゃんと同室で過ごした数日間は、本当に幸せな、宝物のような時間でした。
――次回は語り手を魔裟斗さんにバトンタッチ。夫から見た不妊治療の経験を語ります。
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