【不妊治療・男性目線の魔裟斗さんの本音3】

日経デュアルで掲載中の矢沢心さんの不妊治療体験。

そのパートナーである魔裟斗さんの本音の書かれた前回前々回の記事の

第3弾です。↓

http://dual.nikkei.co.jp/atcl/column/17/1111113/111300006/

下記は記事の抜粋です↓

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2人目は奇跡の自然妊娠。でも、やっぱり簡単には生まれてくれなかった

(写真は日経デュアルさんからお借りしております。)

長女が生まれたときは、ベビーカーを押すのも恥ずかしかったです。

「男がベビーカーなんて…」と思っていましたし、他人に見られるのもイヤでした。

ましてや、抱っこひもなんて、絶対に無理!

でも、2人の娘の父になった今は、これ見よがしに子どもと手をつないで歩いてます(笑)。

「ふふん、いいだろう?」くらいに上機嫌ですよ。

もしも3人目ができたら、抱っこひもだって着けて、
「どうだ! 見てくれ!」とか、やってしまうかもしれません(笑)。

長女が生まれてからは、沐浴などの育児にも関わっていたので、
寝返りしたときや立ったとき、そういった節目節目も見ています。

最初は正直、「生まれたなー」くらいにしか思っていませんでしたが、
話すようになって、一緒に遊べるようになると、どんどん「かわいいな」と思えるようになりました。

ただ、長女を授かるまでがとても大変だったので、
2人目が欲しいとは思っていなかったんです。

「1人で十分だ」って思っていました。

だから、2人目ができたときは、本当に驚きました

治療をしない限り、僕たち夫婦には子どもはできないと思い込んでいたので、
僕も心も避妊はしなくてもいいと思っていて……そうしたら、なんと自然妊娠したんです。

ある日、心が「少し前からちょっと体調がおかしい」と言って、
1人目のときに通院していた不妊治療専門のクリニックへ行きました。

そうしたら電話がかかってきて、「……できてた」って言うんです。

聞いたときは、「えーっ! なんだよ、それ?」と思いましたが、
「こういうときは『おめでとう』って言っておくべきだよな」と思い直して、
「おめでとう」と伝えました(笑)。

ところが、2人目は妊娠するまでは順調でしたが、妊娠経過のほうにちょっと問題がありました。

妊娠6カ月目ぐらいから胎盤が子宮口を塞ぐ「前置胎盤」になるかもしれないと診断されたんです。

妊娠7カ月目くらいからは出血する危険があると言われて入院を勧められ、出産も帝王切開の予定でした。

心が入院して1カ月ほど経った妊娠9カ月目、
僕が前日に仕事で地方に行って、深夜に帰宅したときのことです。

夜中に何度も電話がかかってきていたようだったのですが、
僕は疲れていて全く気付かず、ぐっすり眠り込んでいました。

朝になって気付いて電話をかけ直したら、
「今日帝王切開の手術をすることになったから、夫であるあなたの許可が要る」という話で。

ビックリして、大急ぎで病院に向かいました。

予定外に早まった帝王切開でしたが、緊急性がそこまで高くない「準緊急帝王切開」ということで、
僕も手術着を着せられ、手術室に入って立ち会うことになりました。

僕は心の頭のほうに立っていたので、横になっている心からは見えない手術室の様子が見えていました。

もちろん手術している部分は見えないようになっていたのですが、
心の体から色々な管が出ていて、出血がどんどん増えてたまっていくのは見えたんです。

「これ以上出血すると大変だな…」と思っていると、
僕の顔色が怪しくなってくるのが分かったんでしょう。

心は下半身麻酔で意識はあったので、
「えっ! 私、そんなに出血してるの?」と、ちょっと焦っていましたね。

そんなことがありながらも、無事次女が生まれました。

ちょっと早めの出産だったんで心配でしたが、生まれてすぐに泣き声を上げてくれましたし、
体重も2500グラム以上あったので、ホッとしましたね。

子どもを持つことで、男はより男らしくなれる

次女が生まれたときも、長女のときと同じように
「生まれたんだなー」というくらいの気持ちでした。

でも、今になって、長女と次女が遊んでいる姿を見ていると、2人生まれてくれて本当に良かったなと思います。

2人目不妊で相談を受けることもあるのですが、
僕にとっては「1人から2人」より、「0人から1人」という違いのほうが大きかった。

夫婦2人の生活と、子どもがいる3人での生活とは、全く違っていましたから。

ただ、子どもが1人のときも楽しかったけど、2人いると、さらにその何倍も楽しいんですよね。

もちろん、子どもがいけないことをして、叱ることも2倍、4倍になりましたが、
かわいいから、そういうことも一瞬で忘れちゃう。

どういう理由で叱ったかとか、後から考えても全然覚えていません。

毎日の信頼関係があるから、子どものほうもどれだけ叱っても大丈夫。

すぐに忘れてくれます。

あんなに「子どもはすぐ汚すからイヤだ」「おむつ替えとか勘弁してくれ」と思っていた僕が、
こんなに子煩悩になるなんて、自分でも思わなかったです。

今は、小さな子どもが家に遊びに来ても、
「おむつ替え? どうぞ、どうぞ」って言いますよ(笑)。
2人目が生まれてからは、タバコもやめました。

僕は、現役選手を引退してから、残りの人生は“長いヒマつぶし”だと思っていたんです。

打ち込むものがなくなって、何をしたらいいのかも分からなくて、
毎日がつまらなかった。灰色の人生でした。

でも、子どもができて、急に人生がバラ色になったんです。

今は子どもと色々な思い出を作ることが心底楽しい。

僕は、子どもの存在に救われました。

僕自身にも、責任感が生まれたと思います。

現役時代はサポートされる側だった僕が、出産に立ち会い、
育児に関わって、サポートする側になった。

そのことで、人としても成長できたと思っています。

昔、よく年配の人に「早く結婚しろ」って言われましたけど、
その意味もようやく分かるようになりました。

結婚すると、イヤなことがあっても逃げられなくなる。

だから、精神的に強くなる。

そして、子どもができると、責任感が芽生えて、さらに強くなる。

男がより男らしくなるし、磨かれる。

子どもが僕に、そういう機会を与えてくれたと思っています。

“トンネル掘りのプロ”を名乗れるくらい、公園通いの毎日

育児の面では、僕は「フィジカル担当」ですね。

僕は子どもが小さいうちは、できるだけ外で遊んで、
体を鍛えることが大事だと思っていて。

それ以外の勉強とか、習い事だとかは、全部心の担当です。

僕は今でも毎日7キロ走ることを日課にしているんですが、
この前は、自転車に乗れるようになった長女が「一緒に行く」と言って、ついてきたんです。

まだ5歳の女の子なので、
「大丈夫かなぁ。途中で泣いちゃうんじゃないかなぁ」と内心思いましたが、
音を上げることなく、最後までついてきて、その後一緒にプールも行きました(笑)。

わが娘ながら、なかなか根性あるなと思いましたね。

でも、そんな長女より、次女のほうが色々な面で早くできちゃうんですよ。

上の子を見ていて「同じようにやりたい!」という気持ちが出て、なんでもマネするからでしょうね。

スポーツで活躍している選手も、次男や次女など下の子どもが多い印象があります。

やっぱり親も1人目より2人目のほうが育児に慣れて、
ちょっとのことでは動じなくなるというか、いい意味で大ざっぱになるというか。

だから子どもは強くなるのかなと思います。

僕も次男なので、改めて納得しました。

 今、僕の日常は公園通いの日々です。

最近は次女と一緒に、砂場でトンネルを掘っています。

僕が作るトンネルはもう、完璧ですよ。

トンネル掘りのプロです(笑)。

山を崩さずにトンネルを掘るコツを伝授できるくらい(笑)。

長女のときは砂場が苦手で、公園にある遊具で遊んでいたんですけど、
「子どもだけじゃなくて自分も楽しい!」という遊びを見つけないと、だんだんつらくなるんですよね。

今はトンネル掘りを見つけたので、子どもと一緒に楽しく遊んでいます。

そうして遊んでいるうちに、2歳くらいまでの子どもにとって、
砂場は人間関係を教えてくれる場所だと思うようになりました。

乱暴な子もいれば、おとなしい子もいて、一つの社会を形成している。

そこで娘も色々なことを学んでいくと思うので、「これは行き過ぎだな」と思うまでは、
僕は子ども同士のやり取りを見るだけで、口出ししないようにしています。

長女のときは、順番を待つという場面では譲ることも教えなくちゃいけないと思って、
「あの子に譲ってあげようね」とか言っていました。

そうしたら、あるとき娘に大泣きされて。

それで、「ああ、これは自分の子に一番愛情を見せないといけないんだな」と気付きました。

だから、次女のときには「どうぞ」はやめました。

子どもと一緒にいると、そういうふうに気付くことってたくさんありますね。

遠回りをしないためにも実績のある病院を選んで

今、こうして子どもがいる生活を送るようになって改めて思うのは、
不妊治療を夫婦2人でやることの大切さです。

子どもは夫婦どちらか1人だけでは作れない。

2人で一緒に進めていかないと、
かけなくていい時間がかかってしまうんだなと思い知りました。

僕も、現役選手のころは全然関わっていませんでしたから、前回も言った通り、
精子検査のときは家で採取したものを容器に入れて、妻に持っていってもらっていたんです。

でも、そうするとやっぱり新鮮さが違う。

それが、成功率の違いにつながっていたのかもしれません。

一緒に病院に行くことで、奥さんも心強いんじゃないかな。

女の人だって、何の不安もなく不妊治療に臨んでいるわけじゃないですよね。

格闘技でも負けが続いている選手って、「一生勝てないんじゃないか」と思うそうですが、
不妊治療でも、何回トライしても赤ちゃんを授かれなかったら、
「何をやってもダメなんじゃないか」って、負のスパイラルに陥ってしまうと思うんです。

だから、なるべく病院には男性も一緒に行くのがいいんじゃないかと思います。

もちろん、30代や40代は仕事が忙しい時期だということは理解できますし、
「お金を稼いで養うのが男の役割」と思う気持ちも分かります。

まして、不妊治療はお金がかかりますから、しっかり働いて給料を稼ぐのは大事なことです。

でも、それでもやっぱり男性に「子どもが欲しい」と思ってほしい

そのために、そして奥さんのためにも、一緒に治療に行ってほしいですね。

僕も「子どもなんて自然にできるでしょ」と思っていたけど、そうじゃなかった。

病院に行かないと難しい人もいるということを、
僕が身をもって体験しているからこそ、そうしてほしいと思います。

これから病院を選ぶ方や転院を考えている方には、
まず「家から近いかどうかではなく、病院の実績を見て決めたほうがいい」とお伝えしたいです。

実績のある病院は「混んでいて時間がかかるんじゃないか」とか
「治療費が高いんじゃないか」とか、皆さん色々と考えたり、悩んだりするでしょう。

でも、近くの病院に通ってから転院するかもしれないなら、
たとえ混んでいても実績がある病院に通ったほうが結局は近道なんじゃないでしょうか。

確かに費用は少し高いかもしれないけど、
最初から実績のある病院に通うことで短い期間で授かれたら、
総額としてはかえってかからないように思います。

僕たちの経験を参考にして、子どもが欲しいと願うカップルが1組でも多く子宝に恵まれたら、
それ以上にうれしいことはないな、と思っています。

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【西宮市・尼崎市の不妊・妊活鍼灸・整体マッサージ】

産婦人科医も推薦『れんげ鍼灸整体院』

◎住所◎

兵庫県西宮市深津町3-28

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完全予約制で1日7名様まで

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TEL: 0798-27-7337

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【2017年12月・年末年始のお休みについて】

【12月と年末年始の休業日のお知らせ】

いよいよ、今年も残すところ37日。

やり残したことは、しっかりおこないましょう♪

 

●12月

日曜・祝日の加え

8日(金)17時施術スタートまで

→スタジオ調和にて「リラックス整体」講師のため

9日(土)14時30分施術スタートまで

→勉強会参加のため

12日(火)17時以降の施術受付

→神戸灘区に出張整体施術のため

16日(土)14時施術スタートまで

→スタジオ調和にて「女性のためのお灸講座」講師のため

22日(金)17時施術スタートまで

→スタジオ調和にて「リラックス整体」講師のため

 

【体外受精や人工授精をおこなわれる方へ】

日曜や祝日に体外受精や人工授精をおこなう場合
事前にご相談いただければ、当日の施術が可能な場合がございます。
一度お気軽にご相談ください。

 

●年末年始

・29日(金)午前中まで営業します。

30日(土)〜3日(水)までお休み

・4日(木)から営業します。

ご迷惑おかけいたしますが、ご了承ください。

 

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年末年始のお休み中も受け付けておりますので
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【不妊治療・男性目線の魔裟斗さんの本音2】

日経デュアルで掲載中の矢沢心さんの不妊治療体験。

そのパートナーである魔裟斗さんの本音が書かれた前回記事

第2弾です。↓

http://dual.nikkei.co.jp/atcl/column/17/1111113/111300005/

下記は記事の抜粋です↓

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一緒に診察を受けるのは実はラッキーだった!?

(画像は日経デュアルからお借りしております)

僕も不妊治療に真剣に取り組もうと決めてから、
心の診察中に外で待っていることをやめて、一緒にクリニックに入るようにしました。

最初はやっぱり、ものすごく抵抗感がありました。

そういう場所は女性のものという意識があったし、
「なんだか恥ずかしい」という気持ちもあった。

初めて一緒に行ったとき、中に入った途端に看護師さんから
「旦那さんは別室へどうぞ」と言われ、そのまま個室に連れていかれました。

精子の採取だったんですが、いきなりだったので訳が分からなくて、
「なんだ、何をされるんだ?」と不安になりました。

精子は家で採取して持っていくこともできて、それまではそうしていたので、
病院内にそのための部屋があるなんて知りませんでした。

精子は温度などをきちんと管理して保管しないと正確に検査できないらしくて、
クリニックの個室で採取したほうが新鮮でいいのだそうです。

 男としてはどんな結果だったのか気になったので、
検査の後の診察で「どうなんですか? 僕の(精子)は?」と聞くと、
院長先生から「ものすごく元気です!」とお墨付きをもらい、ホッとしました(笑)。

一度経験してみると、僕の他にも個室に案内されていく人が結構いることが分かったし、
「こういうものか」と思いました。

あんなにイヤだと思っていたけど、入ってみると案外大したことないもんだな。

何でも最初は勝手が分からないから、やりたくないと思うだけなんだな。そう納得できました。

個室の中はとても清潔な環境が整えられていて、いわゆるアダルトビデオが見られるようになっています。

いわば妻公認で、そういう動画を見るわけです。

最初こそ戸惑いましたが、2回目からは「ラッキー!」くらいの心持ちで行くようにしました(笑)。

実は、僕の兄も子どもがなかなかできなくて、同じように不妊治療をしていたんですが、
やっぱりクリニックに行くのをイヤがっていました。

だから、この話をして「むしろ、ラッキーかもよ?」って勧誘したくらいです(笑)。

でも、これはきっと男性に限ったことではないですよね。

多分、治療を受ける手前で迷ったり、悩んだりしている人は女性にも多いんじゃないかな。

実際にクリニックに行ってみれば、同じような境遇の人ばかりで、
自分で考えていたよりハードルは高くないんです。

僕が証明済みなので、ぜひ一歩踏み出してみてほしいなと思います。

妻のつわりの時期は“兼業主夫”だった

そこから、僕と心は二人三脚で不妊治療に取り組むようになりました。

といっても、薬を飲んだり、採卵したりと、心身の負担が大きいのは心のほうで、
僕にできることは限られていましたが、それまでとは違い、
「2人で一緒に同じ目標に向かっていくんだ」という思いを共有していました。

不妊治療では、女性の体の周期に沿って治療が進められます。

心は流産後、一周期体を休めただけで、またすぐに体外受精にチャレンジしました。

院長先生の「なんとかしてあげるから」という言葉通り、
今度も受精卵は着床し、心は転院後2回目の妊娠をしました。

妊娠が分かったときは、心も僕ももちろんうれしかった。

けれど、前のクリニックでの枯死卵や、ついこの前の流産のことがあったので、
心は手放しでは喜べないようでしたし、僕も安心はしていませんでした。

生まれてくるまでは何があるか分からないし、何が起こってもおかしくない。

そのことを2人ともイヤというほど分かっていたからです。

やがてつわりが始まりました。前の流産のときもそうでしたが、
心はつわりが重いタイプのようでした。

心の実家からは「とにかく寝ているように」と言われていて、
僕も「寝てたほうがいいよ」と言って、つわりがひどかった2カ月間は家事一切を僕が担当しました。

床にモップをかけて、洗濯機を回して、終わったら洗濯物を干して、畳んで。

つわりのひどい心でも食べられるような料理を作って、
犬のウンチ用の袋やスコップを持って散歩に行って……。

心にはずっとベッドで休んでもらい、食事もそこで取らせました。
おなかにいる子どもを守ってやれるのは心しかいない。

だから、心が子どものことだけに集中できるように、その他のことは僕がやろう。

心を大事にすることが、おなかの子どもを大事にすることにつながっている。そう思いました。

ところが、これが思ったよりもずっと大変で、僕は2カ月で3キロ痩せました。

現役時代に減量を経験していたのですが、「心労で痩せるというのはまた違うものだな」と実感しましたね。

慣れない家事をやりながら、仕事に行き、自分のこともやらなくちゃいけなくて、もうフラフラでした。

このときは現役を退いていて、サラリーマンのように毎日決まった時間に仕事へ出かけるわけではなかったので、
なんとかできたんだと思います。僕が現役の選手だったら、絶対に無理だったでしょう。

やがてつわりも終わって安定期に入り、心もベッドから起き上がれるようになりました。

僕の“主夫生活”も終わりを告げましたが、無事に子どもの顔を見るまでは、
僕と心が気を緩めることはありませんでした。

二人三脚は妊娠中もずっと続いていきました。

妻が選手、夫がセコンドで挑んだ出産という試合

心の陣痛が始まったのは、僕に仕事が入っている日でした。

途中で「今日生まれるかも」と電話があり、仕事終わりにスーツのままクリニックに向かいました。

着いたのは夕方6時ごろでした。

心は入院したものの、なかなか赤ちゃんが下りてこなかったらしく、
クリニックの中を歩いたりしていたようです。

それでも、僕がクリニックに着いて1時間くらいすると、分娩室に移動することになりました。

僕も一緒に分娩室に入り、心につきっきりで声をかけたり、
水を出したり、あおいだりしました。まるで選手とセコンドみたいでしたね(笑)。

腰のマッサージもしました。マッサージをしていると
、だんだん骨盤が開いてくるのが分かるんですよ。

「骨盤が開いてきたぞ!」と言ったら、心は「そんなことまで分かるの?」とビックリしてましたけど。

最後のほうは、先生に「分娩台に乗ってください」と言われて、
そうしました。心の後ろ側から体を押さえて、
「吸って」「吐いて」と指示を出しながら、一緒に呼吸しました。

僕は特にお産のための呼吸法を習ったわけではないのですが、呼吸の基本は同じ。

トレーニングのための呼吸法がお産でも役立ちました。

そうして、もうすぐ深夜0時を迎えるというころ、ようやく娘が生まれました。

心は感動していた様子でしたが、実はその時点では僕は何とも思っていませんでした

娘をかわいいと思うようになったのは、言葉を話すようになったり、一緒に遊んだりするようになってからです。

そのときは、今初めて会った娘より、心のほうが気にかかり、「よく産んだな。お疲れさん!」と声をかけるほうが先でした。

僕自身も「やりきった!」という気持ちでいっぱいで、疲れがどっと押し寄せてきました。

お産が終わって改めて感じたのは、心の強さです。

お産のときって、分娩室に移動しても、最初は助産師さんや看護師さんだけで、
いよいよ生まれるというタイミングにならないとお医者さんは来ないんですよね。

それで、分娩室に先生が入ってきたのを見て、
「あっ、先生が来たから、もうそろそろ生まれるんじゃない?」なんて言うんですよ。

陣痛の痛みも最高潮のはずですし、普通はそんなに話したりできないぐらいじゃないかと思うんですけど、
生まれる20分前に笑って話しているんです。

自分の妻ながら「すげぇな」と思いました。

「自然分娩にしたい」と言ったのも心です。僕だったら、痛いのは絶対イヤですよ(笑)。

僕は現役時代に鼻の骨を折って手術しているんですけど、
そのときも部分麻酔じゃなくて全身麻酔でやってもらったくらいです(笑)。

試合は何カ月もかけてトレーニングをして、絶対勝つと思って臨んでいるので、
試合中は殴られても、蹴られても痛みはあまり感じないんですが、終わったらすごく痛い。

だから、それ以外では痛い思いをしたくないんです。

そう考えると、もしかしたら、心にとってお産は試合みたいなものだったのかもしれないですね。

僕が真剣に不妊治療に取り組んだのは1年くらいで、心に比べればほんの少しの間です。

でも、この短い間に、僕はまた改めて心という人間を知ったような気がします。

その決して諦めない心やブレない覚悟が、子どもを授けてくれたんだと思っています。

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【不妊治療・男性目線の魔裟斗さんの本音1】

日経デュアルで掲載中の矢沢心さんの不妊治療体験。

そのパートナーである魔裟斗さんの本音が書かれた記事です。↓

http://dual.nikkei.co.jp/atcl/column/17/1111113/102400004/

下記は記事の抜粋です↓

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おしどり夫婦として知られる女優・タレントの矢沢心さんと
日本人初のK-1世界王者・格闘家の魔裟斗さん。

2人は、5歳と3歳の2人の女の子のママとパパであり、不妊治療の経験者でもあります。

今回からは夫・魔裟斗さんにバトンタッチして
男性側の視点から不妊治療への関わり方や子育てなどについて語ってもらいました。

第1回は心さんとの出会いから結婚を経て
心さんの決意を知って魔裟斗さんが不妊治療に本格的に関わろうとするまでのお話です。

(写真は日経デュアルさんからお借りしております。)

僕にとって同棲は結婚同然。だから、実は重かった

心と出会ったのは、僕が20歳の頃。

「近くで車が動かなくなっちゃった」と

知り合いから連絡があったので行ってみたら
そこに一緒にいたんです。

最初は「矢沢心って誰だっけ?」という感じで、
名前もあまり聞き覚えがなかったし、
女優さんだということも知りませんでした。

初対面なので、普通はお互い気を遣うと思うんですが
心は僕に気を遣わせないように話してくれました。

僕は人見知りだし、口下手なほうなので、それがすごく心地よかった。
今ではもうどんなことを話したのか、全然覚えていないけれど、
「気遣いができる、会話の上手な人だな」と思ったことは覚えています。

それから連絡を取り合うようになり、2人で出かけるようになりましたが、
その頃の僕はまだK-1に出る前で、「これからどうやって自分を売り出していこうか」と考えていた時期。

とにかく仕事が一番だったので、正直彼女を作るつもりはありませんでした。

だから、言葉は悪いかもしれないけれど
心と付き合ったのは成り行きというか、深く考えてのことではなかったですね。

付き合ってから1年くらいたった頃、「一緒に住まない?」という話になりました。

当時、心はストーカーに遭って怖い思いをしていたみたいで、1人暮らしは不安だったようです。

でも、昔から僕の中には

「一緒に住む=結婚を前提にする」という意識があったので
この話は「付き合う」ことよりも、ずっと重かった

20代前半で仕事もまだこれからという時期に
結婚まで考えるということですから、本当に悩みました。

そうして悩みに悩んだ末、将来心と結婚するという決心をして
双方の家にも挨拶に行きました。

実際に結婚したのは、それから5年後です。

お互いにどういう人間かはもう分かっていたし
僕は27歳、心は25歳になっていたので
「そろそろ結婚する時期かな?」と。

今考えると、「まだ若かったかも……」と思いますが
当時は「結婚って、そのくらいの年齢でするもんでしょ」という気持ちがありました。

心に「生理が来ない」ということは、一緒に住んでいたのでもちろん知っていました。

だけど、特にそれが問題だとは思っていませんでしたね。

「そういう人もいるんだな」くらいの認識でした。

現役時代はとにかく仕事が第一で、それだけで頭がいっぱいだったので
それ以外のことにはあまり関心がなかったんです。

結婚しても、子どもが欲しいとは思っていなかった

赤ちゃんや子どものことも、全然かわいいとは思ってなかった。

若かったし、友達と遊んでいるほうがずっと楽しかった。

子どもがいるとうるさいし、汚れるし、何よりもその空間が子ども中心になるでしょう?

話していても、子どもが何かしたらそちらに気を取られてしまう。

それがイヤでした。

周りに子どもが生まれた友達ができ始めると
皆で集まるときに子どもを連れてくることがありましたが
そういうときも内心「連れてくんなよ」と思っていました。

だから、結婚しても「子どもは何人欲しい」とかは
考えたこともなかったです。

心は考えていたようですが、僕は全く関心がありませんでした。

「子どもの頃は、小さな子と遊ぶのが好きだったよ」と親に言われましたが
「そうだったかなぁ……?」という感じでした。

そんな調子だったので、もし現役だった頃に子どもができていても、遊んであげたりすることはなかったと思います。

現役時代は、常にプレッシャーがあってイライラしていて
自分以外の人間の面倒を見る余裕なんてなかった。

子どももきっと、僕のことを嫌いになっていたんじゃないかな。

そう考えると、授かるべきときに授かったんだなと思います。

赤ちゃんは将来のパパとママを上から見ていて
この世界に下りてくる時期を自分で決めるというような話を聞きますけど
あれはまんざらウソじゃないかも、と思うことがあります。

うちの子も、きっと上から僕を見ていて

「今行っても、パパは全然余裕がないから、かわいがってもらえない」

って思ったんじゃないかと、そんな風に思うんです。

子どもに対する気持ちは、結婚から1年がたち
心が「不妊治療を始めたい」と言ってきたときも
実はほとんど変わっていませんでした。

当時はまだ現役でK-1に出場していたころで、とても関わる余裕がなかったし
内心では「子どもなんて自然にできるでしょ。そんなに考えること? そこまでしなくちゃいけないの?」
と思っていました。

でも、「心がやりたいのなら、好きなようにやっていいよ」というスタンスを取っていました。

それは、心が1回目の転院をして、体外受精にステップアップしてからも、変わりませんでした。

だから、最初のクリニックのときも、転院してからも
心と一緒にクリニックに行ったことは、ほとんどなかったと思います。

流産をきっかけに初めて知った妻の気持ち

2度目の転院は、僕が偶然あるパーティーに出席したことがきっかけでした。

実は、僕は知り合いに誘われるまま、何のパーティーなのかもよく知らずに行ったんです。

出席してみたら、それは不妊治療のクリニックの院長先生が主催するパーティーだった。

その知り合いは不妊治療をしていて、僕も心が治療していることを話したことがあり
前にも「自分たちが通っているクリニックはいいよ」と声をかけてくれていました。

でも、僕は「うん、そのうちにね」とずっと流していたんです。

それで、僕にはあえて詳しいことは話さずに、パーティーに誘ってくれたようです。

院長先生は大の格闘技好きで、すぐに打ち解けることができました。

僕が何気なく「なかなか子どもができないんですよね」と話すと
院長先生は驚いたようでしたが、すぐに「僕のところに来なさい。なんとかしてあげるから」と言ってくれました。

心には、家に帰ってその日のうちに「行ってみない?」と話をしました。

心もそのクリニックの名前は聞いたことがあったみたいで
すぐに転院することになりました。

けれど、そうなってもまだ、僕はそれほど真剣に子どもが欲しいとは思っていませんでした

その気持ちが変わったのは、2度目の転院後に心が流産したときです。

以前に、赤ちゃんが育っていなくて
包んでいる袋(胎嚢)だけが残っている「枯死卵」ということがあったので
心は受精卵がおなかに着床したことをとても喜んでいました。

僕も、心がずっと努力していることは知っていたから、良かったと思っていました。

その日は、車でクリニックに送って行って、診察の間、僕は車で待っていました。

このクリニックに転院してからは、できるだけ付き添うようにしていましたが
不妊治療クリニックとか産婦人科とかは、独特の雰囲気があって、正直、中には入りたくなかったんです。

診察が終わって戻ってきた心に「どうだった?」と尋ねると、答えがありませんでした。

しばらくすると、半分泣きながら、「心臓、止まってた……」と言いました

「どういうこと?」「何それ?」僕は事情が分からずまた尋ねましたが、無言の時間が流れていきました。

僕は心を神宮外苑のいちょう並木が見えるカフェにそのまま連れていき、ただ2人で静かに過ごしました。

もう、声のかけようがなかった。「大丈夫だよ」なんて、軽々しく言えない。

だって、大丈夫じゃないんだから。

結局、時間が解決するほかなくて、僕はそばにいてあげることしかできない。

そのとき、僕は「子どもはもういいんじゃないか」と思いました。

心がこんなに傷ついているなら、かわいそうだと思ったんです。

子どもがいなくたって、僕と心の2人で生きていけばいい。子どもはもう諦めよう。

しばらくたってから、心にそういう話をしました。

ところが、心は意外なことを言ったんです。

私は、あなたの遺伝子を残したい。

だから、子どもを諦めることはできない。

授かるためだったら、どんな治療でもする」と。

僕の本名は小林というのですが、心はその小林家の歴史のことまで話し始めて

「おじいさんやお父さん、お母さんから引き継がれてきた遺伝子を、自分も残したい」と言いました。

今まで不妊治療をしてきた間、心からそんなことを聞いたことがなかったから、ビックリしました。

僕は、一度もそんな風に考えたことはなかったし
心がそんな気持ちで治療をしていたなんて、思いもよらないことでした。

それからです。僕が「自分も本格的に協力しよう」「ちゃんとサポートしよう」と思うようになったのは。

心の覚悟を知って、僕も本気で取り組まなければと思いました。

幸いなことに子どもに恵まれた今

「もしかしたら、あれが、僕たちが子どもを授かるための大きなターニングポイントだったのかもしれないな」

と感じています。

 

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2017年11月のお休み・お知らせ

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事前にご相談いただければ、当日の施術が可能な場合がございます。
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【矢沢心さんも体外受精で妊娠4】

前回の矢沢心さんの取材紹介の記事の第4弾です。

日経デュアルの記事です。

http://dual.nikkei.co.jp/atcl/column/17/1111113/101900002/

 

下記は記事の抜粋です↓

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(画像は日経デュアルよりお借りしております)

流産してやめた、二つのこと

流産しても諦めない。そう思ったとき、私は二つのことをやめました。

一つは日記です。

それまで、私は家事が終わって寝る前の深夜1時すぎに日記を書くことを習慣にしていました。

そこには、検診のこと、先生とどんな話をしたか、どんな薬を飲んで、
どんな治療だったか、その治療で体調がどう変わったかなど、
そのとき感じた気持ちや夫が言ってくれた言葉などをすべて書いていました。

そして、毎月生理が来ると、「あー、今月もダメだった……」と重い気持ちとともに日記を開き、
「ネイルをしたのがいけなかったのかな」「髪を染めたのがダメだったのかな」
「移植した日、もっと静かにしていればよかったかな」「重いものを持ってしまったからかな」
「動かなければよかったかな」と、授からなかった原因を探していました。

何かの原因があったと考えないと、気持ちが持たなかったからです。

原因があるのなら、次はそこを直せばいいと思えて、少しラクになれました。

けれど、赤ちゃんの心臓が止まって、ようやく気が付きました。

そうやって、ダメだった原因を探しても前には進めないし、
そもそも原因は私の生活だけにあるとは限らない。

院長先生も、
「流産はお母さんのせいじゃないんだよ。ほとんどは赤ちゃんの側に何らかの原因があって起こるものだから」と言っていました。

私にはどうしようもないことだってあるんだ。

「あれもダメ、これもダメ」というのは、
かえって自分をがんじがらめにしていただけじゃないか。

深夜に日記を書くことで寝る時間が遅くなり、朝起きてもあまり食欲が湧かず、
朝食が食べられないということもよくありました。

夫からも「健康な生活をしないと、赤ちゃんも来れないよ」と言われていました。

ダメだったことはもう振り返らなくていい。良かったことは振り返ってみてもいいけれど、
問題がないなら、何度も見る必要はないよね。それなら、夫の言う通り、
早く寝て、健康的な生活をしたほうがいいんじゃない?

そう思って、それからは一切日記を書くのをやめました。

やめてみたら、あら、なんてラクチンなんでしょう(笑)。

日が経つとともにちゃんと起きられるようになって、
朝食も食べられるようにもなり、「やっぱり、私に必要なかったんじゃん!」と思いました。

もう一つは、妊娠したら読もうと思って保管していた妊婦さん向けの雑誌などを全部捨てたことです。

これも、よく考えてみたら、本当に妊娠してから買えばいいことだと気付きました。

全部捨ててみたら、家の中も、気持ちもスッキリ!

妊娠中に役立ちそうな記事を集めることで、かえって自分にプレッシャーを与えていたのかもしれません。

「心は今、大事な仕事の真っ最中でしょ」

そうして1周期お休みした後、2度目の転院後、2回目の体外受精にトライしました。

今度も無事に着床しましたが、私はもう「これは通過点にすぎない」と思っていました。

枯死卵、流産を経験して、たとえ着床しても赤ちゃんが育たないこともあると、身に染みて分かっていたから。

「今回ももしかしたら…」という考えが、いつも頭の片隅にありました。

「胎嚢が確認できた」「心拍も確認できた」
と一つひとつステップをクリアしていき、つわりが始まりました。

かなり重いつわりで、妊娠6カ月の終わりくらいまで、
トイレとお風呂、歯磨き以外はベッドで過ごすようになりました。

不器用な性格なのか、中途半端で済ますことができず、
あれもこれもやらなくちゃ気が済まない私は、それまでのんびりしたことなんてなかったので、
夫からも夫の家族からも、実家の家族からも「安静にして」としっかりくぎを刺されました。

それでも、何もしないでいると不安が襲ってきて、
やめたはずの日記を書きたくなるときがありました。

そんなときは、流産のときに夫が言ってくれた言葉を思い出しました。

それは、やっぱりつわりで体がだるくて、仕事もあまりできず、
寝てばかりいることを夫に話したときのことでした。

「もっとちゃんとしなくちゃいけないよね」と言うと、
夫は私が考えてもいなかった言葉を返してくれたのです。

「何言ってんの? 心は今、大事な仕事の真っ最中でしょ

この言葉が、どんなにうれしかったか。

そうだ、私が自分の体を大切にすることが、赤ちゃんを育てることにつながる。

そして、夫を幸せにすることにもつながっているんだ。そう思いました。

だから、今はのんびりしているのが仕事。そう思い直して、
本を読んだり、好きなDVDを観たり、思い切りダラダラして過ごしました(笑)。

掃除や洗濯、食事作りは夫ができる限りやってくれ、
仕事でできないときは、義母や実母が助けてくれました。

つわり中、食べられるのはカステラとクッキーくらいで、
おなかの赤ちゃんへの栄養が足りないのではと心配でしたが、
実母が「カステラには牛乳も卵も小麦粉も入っているから大丈夫!」と言ってくれたので、
「そうか、そうだよね」と思えて、心強かったです(笑)。

つわりが終わったときは、「また一つステップを上った」と思いました。

でも、その後も私はできるだけのんびり過ごすようにしました。

ゆっくり家事をしたり、犬の散歩をしたり、本を読んだり。

そうやって、出産までおなかの赤ちゃんを大切に守っていこうと心に決めていました。

セコンド役の夫と2人で迎えた出産の瞬間

(画像は日経デュアルよりお借りしております)

出産の兆候が現れたのは、2012年の6月22日。予定日とピッタリでした。

夜中に陣痛が始まり、朝まで待って出産する病院に行くと、そのまま入院になりました。

昼になってもまだ産まれる気配がなかったので、
夫はそこから仕事へ行きましたが、仕事が終わるとまた病院に戻ってきてくれました。

スーツで出かけた夫は上着を脱いでワイシャツ姿になり、
陣痛が激しくなった夕方からはうちわであおいだり、腰をさすったりしてくれました。

「水じゃなくてジュースのほうが、果糖が含まれているから体力がつく」とジュースを薦められて飲んだら、
気持ち悪くなったりということもありましたが(笑)、気持ちはすごくうれしかったです。

あとで聞いたら、本人はすっかり「セコンド気分」だったみたいです。

看護師さんには体を起こしたほうが早く生まれると言われていたのですが、
あまりに痛過ぎて横になれず、四つんばいの姿勢になっていたら、
夫が「それじゃいつまで経っても出てこないって!」と、看護師さんと同じことを言うんですよね。

全然知らないはずなのに。

それで、その通りにしてみたら、それまでなかなか進まなかったお産が進み始めたのです。

最後は夫も枕元に上がり、「吸って」「吐いて」と呼吸の指導をしてくれました。

夫は特にお産のための呼吸法を知っていたわけではありませんでしたが、
基本はトレーニングの呼吸と同じなのだとか。

やっぱり、夫は私の名セコンドだったのかもしれません。

そうして、2人で一緒に、待ちに待ったときを迎えました。

生まれたとき、最初に頭をよぎったのは、「健康で無事に生まれてくれたかな?」ということでした。

「泣いた! あれ、泣きやんだ?」と、顔を見せてもらうまではまだ心配で、
分娩台の上から「顔を見せてくれますか?」とお願いしました。

 赤ちゃんがそばに来たときは、「やっと会えた!」という思いでいっぱいになりました。

ああ、私はこの子に会いたかったんだなぁ。今までの日々は、あなたに会うためにあったんだね。

 不妊治療を始めてから出産まで5年、私はようやくママになりました。

振り返れば、これが私たちのベストなタイミングだった

今になって思うのは、“授かり時”ってあるんだなぁということです。

私と夫が結婚したとき、まだ夫は現役で活躍する格闘家でした。

体も心も試合に向けて調整していくことが一番大切で、
試合前にはわずかな物音も立てられないほど、ピリピリしていました。

「お風呂に入っているときなら聞こえないだろう」と思って浴室で鼻歌を歌っていたら、
「うるさい!」と叱られたこともありました。本当に神経が研ぎ澄まされているんだなぁと思ったものです。

でも、それが夫の仕事。
そして、夫のコンディションを常に良い状態にするのが、家庭での私の仕事でした。

夫の健康状態を考えた食事、コンディションを整えるための環境作り。

もともと中途半端にできない私は、自分の仕事もしながら、
夫のこともおろそかにはできなかったので、私自身も全然余裕がありませんでした。

だから、もし夫が現役のころに赤ちゃんを授かっていたとしたら、本当に大変だっただろうなと思います。

夫中心のスケジュールの中に自分のスケジュールを入れて、そこに赤ちゃんが加わる。

ましてや、赤ちゃんはこちらのスケジュール通りに動いてくれるわけではありませんから、私はパンクしていたかもしれません。

私には、不妊治療、妊娠、出産を経験して、気付いたことがあります。

それは、すべてを自分一人でやる必要はないんだということ。

私は小さなころから、「しっかりしているけど、逆にそこが心配」と親戚にも言われていました。

でも、何でも自分でやろうとすることが、決していいことばかりではなくて、かえって迷惑をかけることもあると、
この経験で知りました。

自分を大切にして、誰かに甘えられるときは素直に甘える。

その分、自分ができるときには誰かの役に立てるようにする。

大げさだけど、人間ってそうやって生きているんだなということが、ようやく実感として分かったのです。

それが、赤ちゃんが生まれる前で本当に良かったなと思います。

私が一人で頑張り過ぎて困るのは、そばにいる家族だから。

夫にしてみても、当時はいつも試合のことを考えていましたから、
そこに赤ちゃんが入る隙間はなかったんじゃないかと思います。

待望の赤ちゃんが生まれた後、私はまた1カ月間寝て過ごさせてもらいました。

その間、義母や実母が交代で来てくれましたが、一番活躍してくれたのは夫でした。

赤ちゃんのオムツを替えたり、お風呂に入れたりと、
小さくて首が据わらないぐにゃぐにゃの赤ちゃんを夫は一生懸命お世話してくれて、夜も一緒に寝てくれました。

そんなことも、夫が引退した後に授かったからこそできたこと。

もし現役中だったら、赤ちゃんと触れ合う時間なんてなくて、いつの間にか大きくなっていたような感じだったかもしれない。

赤ちゃんも、なかなかパパに懐かなかったかもしれない。

そう考えると、不妊治療をした4年間は、とてつもなく長い時間だったような気がするけれど、
私たち夫婦にとっては必要な時間だったんだ
と思います。

そして、きっと人それぞれに“授かり時”はあるんじゃないかなと思うのです。

私にとって、そんな紆余曲折を経て授かった娘。

産後、赤ちゃんと同室で過ごした数日間は、本当に幸せな、宝物のような時間でした。

――次回は語り手を魔裟斗さんにバトンタッチ。夫から見た不妊治療の経験を語ります。

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【矢沢心さんも体外受精で妊娠3】

前回の矢沢心さんの取材紹介の記事の第3弾です。

日経デュアルの記事です。

http://dual.nikkei.co.jp/article.aspx?id=11372

 

下記は記事の抜粋です↓

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2度目の転院で出会った“運命の先生”

転院したのは、本当にたまたまでした。

それまで治療や病院のことにはほとんど口を出さなかった夫が
急に「転院しない?」と提案してくれたのです。

誘われて出席したパーティーで不妊専門クリニックの院長先生に出会い
「うちへいらっしゃい。なんとかしてあげるから」と言われたのだそうです。

そのクリニックは、不妊治療ではとても実績のあるところでした。
2年前に最初に転院したころに病院名を聞いたことがありましたが
院長先生は男性だったので、まだ「妊娠できたらいいな」くらいの気持ちだった私は
通院しやすい場所であることや女医さんであるなどの条件を優先させていたのです。

でも、体外受精に進んでもなかなか妊娠反応が出ず
やっと着床したと思ったら“ウソの妊娠”だった。

次の体外受精でも、受精卵をおなかに戻せなかった。

治療をしても、必ず授かるとは限らない……。

そんな現実を目の前にして、一度治療をお休みしようとしていたタイミングで声をかけていただいた。

そして、夫が会ってすぐに「お任せしたい」と思ったほどの方なら、これは運命なのかもしれない

そう思って、翌日すぐに連絡を取りました。

予約が取れたのは、2010年のクリスマス。

私たちにとって、プレゼントになるようなことが起きるんじゃないか。

そんな予感がしていました。

初めての予約の日、院長先生は私にこう断言しました。

「絶対に赤ちゃんを抱っこさせてあげる」。

私は、「絶対」というのは自分で決めることだと、それまでずっと思っていました。

未来は誰にも分からないのだから、「絶対大丈夫」も、「絶対ダメ」も、自分の気持ち次第。

自分がどうするかによって変わるものだと思ってきました。

 でも、院長先生は、「絶対」と言いました。

「院長先生は“名トレーナー”みたいだな」

お医者様は、たくさんの患者さんを診てきて
同じ治療をしても同じような反応があるわけではないと知っています。

だからこそ、「絶対」なんて言葉を使うはずがないと思っていました。

そのお医者様が「絶対」と言ったのです。素直に「この人すごい!」と思いました。

 先生の自信は本物だ。この先生にすべてお任せしよう。

そうすれば、私はきっとお母さんになれる。

先生のひと言は、一度は揺らぎかけた私の気持ちに、もう一度火をつけてくれました。

あとで夫にその話をすると、「院長先生は名トレーナーみたいだなぁ」と言いました。

名トレーナーというのは選手をやる気にさせるもので
そういう人は必ず“魔法の言葉”を持っているのだそうです。

この言葉を言えば、選手の闘志がかき立てられる。

そんな言葉を今このときしかないというタイミングで伝える。

それによって、選手は持っている力の何倍もの力を出すことができるのだといいます。

 院長先生は、まさしく私にとって名トレーナーでした。

院長先生からは、「次に来るまでに、僕が書いた本を読んでみて」と言われました。

その本には、「体外受精の採卵には麻酔を使用しない。採卵の針も細いため、体への負担が少ない」と書いてありました。

前のクリニックでは、採卵に麻酔を使っており、麻酔が苦手な私はとても痛みが強く
つらい経験をしていたので、これは自分にピッタリなのではないかと思いました。

実際に採卵をしてみると、採卵にかかる時間は驚くほど短く、採卵後の痛みもほとんどありませんでした。

「こんなにも体がラクだなんて!」と驚きました。

このとき初めて、あんなにつらかったのは、麻酔が体に合わなかったからなんだと実感したのです。

それまでの私にとって、採卵がつらくても、それは「我慢すべきもの」でした。

でも、本当はそんなことなかった。

我慢しなくちゃいけないと思い込んでいただけだったと気付きました。

そういう意味でも、このクリニックとの出会いは、運命だったんだと思います。

転院して改めて知った、コミュニケーションの大切さ

(日経デュアルよりお借りしています)

ただ、実際の診察は、これまでの先生とは全く雰囲気が違い、最初は私も大混乱してしまいました。

それまで通院していたクリニックは女医さんだったので、私としては質問がしやすく、先生も丁寧に説明してくれました。

でも、今度の院長先生は、とても忙しくて、しかも早口だったのです。

最初の診察で、先生は「排卵日とタイミングを合わせたら
その日にクリニックに来て、フーナーテストを受けて」と言ったようなのですが
私はきちんと理解できていないままにしてしまい、タイミングをとっただけでクリニックには行きませんでした。

次の診察の際、「なんで来なかったの?」と言われて、「ええええーっ! そうだったの!」とびっくり。

それならメモをして先生の話を聞き漏らさないようにしようとすると
「メモはいいから、聞いて」と言われます。

診察の最後に質問しようとすると、忙しい院長先生はすぐに診察室を出ていってしまうし
「もう、どうしようー!!!」とプチパニック状態に。
院長先生は口調もハキハキとしていたので、なんだか気後れしてしまいました。

けれど、そんな状態に手を差し伸べてくれたのも、院長先生でした。

診察が終わった後、看護師さんが説明してくれるようになったのです。

院長先生が「やることをメモにして渡してあげて」と言ってくださったらしく、メモも頂きました。

それで、私はようやく気付いたのです。

赤ちゃんが欲しくてここに来ているのに、このままじゃいけない。

今までは自分から働きかけなくても与えられていたけれど、それじゃダメなんだ。

赤ちゃんが欲しいなら、自分から食らいついていかなくては。

それからは、まず質問したいことをまとめておくようにしました。

忙しい先生にすべてを質問するのは申し訳ないので
調べられることは自分で調べ、そのうえでどうしても分からないことだけを質問することにしました。

診察が終わって、院長先生が出ていこうとしても
もうそのまま見送らず、「先生、ちょっと質問が……」と呼び止めるようにしました。

そうすると、先生もちゃんと誠実に答えてくれました。

どうしても忙しいときには、「看護師さんに質問しといて。あとで答えるから」
と言われることもありましたが、それは仕方がないこと。

 早口だとか、口調がはっきりしているとか、そうした表面的なことにとらわれるのをやめて
きちんと尋ねるようにすると、ビクビクする必要なんてなかったんだなと分かりました。

質問することで自分自身の不安も少なくなっていったので
やっぱりコミュニケーションって大事だなと改めて思いました。

院長先生は
「薬はあまり使いたくないんだけれど、あなたは使う必要性があるから、少しずつ使いますね」などと
常に私の体に合った方法を模索してくれました。

私が最初のころ女医さんや家から近いクリニックにこだわっていたのは
「大きい病院では話をちゃんと聞いてもらえないのでは?」
「男性のお医者さんの対応が冷たかったらどうしよう」という気持ちからでした。

こじんまりしたクリニックで、女医さんだったら
きっと丁寧に話を聞いてくれるんじゃないかと思っていたのです。

確かにそれまで通った女医さんは丁寧に答えてくれましたが
今となっては女性の医師か男性の医師かは、あまり問題じゃないと思うようになりました。

それよりも、その医師や治療法、薬との相性のほうが、ずっと大事なのだと分かったからです。

そのことが分かるまでに、ちょっと遠回りをしたけれど
遠回りをしなければ分からなかったことも事実。

だから、麻酔が合わなくてつらかった日々も、無駄ではなかったと思っています。

再び妊娠! でも、悪い予感は的中した

このクリニックでは、タイミング法に1回トライした後
すぐに体外受精にステップアップしました。

そして、今度は1回目の体外受精で妊娠反応が出たのです。

今まで何度もトライして、一度しか成功しなかったから、これはやっぱりうれしかった。

それでも、前回の枯死卵のことがあったので、もう手放しで喜ぶことはできませんでした。

「一つステップを上がったということなんだ」と
なるべく冷静でいようと努めました。

なんとなく、そんなに簡単に出産までたどり着けるとは思えなかったのです。

そして、そんな予感は、やっぱり当たってしまいました。

軽い出血があり、すぐにクリニックに電話をすると
「安静にしてください。出血が止まらず、もし心配なら来てください」と言われました。

できるだけ動かないようにすると、それ以上出血することはありませんでしたが
数日後、不安に思いながら検診に行くと、流産していました。

 もうすぐ3カ月というところで赤ちゃんは成長を止め
それまで元気にドクンドクンと動いていた心臓も止まっていたのです。

一度おなかに来てくれても、こんなことになることもあるんだ……。

ただただ茫然として、先生の言葉に「そうですか」と答えるのが精いっぱいでした。

このクリニックに転院してから、夫はできる限り検診に付き添ってくれていて
このときも車の中で待っていてくれました。

夫のところに戻ると、私が口を開く前に「どうした?」と尋ねてきました。

私の顔を見て、何かあったとすぐに分かったんだと思います。

「赤ちゃんの心臓、止まってた……」と伝えると
夫もとても驚いて、「動いていたのにな……」と言いました。

それからはお互いほとんど無言でしたが
夫はカフェに連れていってくれ、2人で普通にお茶を飲みました。

ただそばにいて、一緒にお茶を飲んでくれる。

その時間で、私の気持ちは静かにリセットされていきました。

思えば、以前の枯死卵のときも、夫は自分を責める私に
「今はそういう時期じゃなかったんだよ」と言って頭をなでてくれました。

それで、私は「ああ、そう思っていいんだ」と思えたのです。

 言葉数は多くないけれど、私にとって必要なことをちゃんと伝えてくれる。

そんな人が一番近くにいてくれる。そのことは、私にいつも力を与えてくれました。

また、次がある。赤ちゃんは私のおなかに来てくれた。

私は、妊娠できる体だったんだ。

だから、諦めない。私はママになり、夫をパパにするんだ。

そう思い直し、次の体外受精に向けて、体を整え始めました。

赤ちゃんに会える日がすぐそこまで近づいてきていたことを、このときの私はまだ知りませんでした。

つづく…

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【矢沢心さんも体外受精で妊娠2】

前回の矢沢心さんの取材紹介の記事の第2弾です。

 

日経デュアルの記事です。

http://dual.nikkei.co.jp/article.aspx?id=11130

 

下記は記事の抜粋です↓

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妊娠するチャンスは1年に12回だけ

病院での検査の結果は、やはり「多嚢胞性卵巣症候群で、妊娠しづらい体」というものでした。
でも、先生も看護師さんも、「若いから、そんなに急がなくても大丈夫」と言ってくれたので、
妊娠はできるんだろうなと思っていました。

私は排卵検査薬を使い、予測された排卵日ごろに夫婦生活を行うタイミング法を何度か試した後、
フーナーテストと卵管造影検査を受けました。
フーナーテストは、検査の12時間前以内に夫婦生活を持ち、
子宮頸管から粘液を採って、その状態や精子の数、運動の状態などを調べる検査です。
卵管造影検査では、子宮の中に造影剤を入れてレントゲンで撮影し、
子宮の形や卵管に通りが悪いところがないかなどを診ます。

検査では大きな問題は見つかりませんでしたが、
その後、人工授精を4回受けても、やはり授かりませんでした
そのころになると、さすがの私も「妊娠しづらいって、こういうことだったんだ」と、
ようやく実感するようになりました。そして、思ったのです。
若いから大丈夫っていうのは、違うんじゃないか?」って。

不妊治療では、最初に血液検査や超音波検査、
フーナーテスト、卵管造影検査などを行います。
こうした検査は生理周期に合わせて行うため、大体2~3カ月ほどはかかります。

検査が終わると治療に入りますが、多くの病院では、タイミング法から始まります。
超音波検査で卵胞の大きさを、血液検査でホルモンの値をそれぞれ調べることで、
排卵日が推測できるので、それに合わせて夫婦生活を行うように指導があります。
タイミング法を行う回数は、年齢や状況によって違いますが、多い場合は4~5回ほど続けるようです。

それで妊娠しなかった場合は、人工授精にステップアップします。
推測した排卵日に夫の精子を採取して、子宮内に直接注入する方法です。
人工授精では、6回目までに妊娠する人がほとんどのため、
その回数までに授からなかった場合は、体外受精へのステップアップを勧められることが多い
ようです。

体外受精は、卵巣から採取した卵子と、夫の精子をシャーレの中で受精させる方法です。
薬や注射などでより多くの卵胞を育てて、その中から質の良い卵子を採取するので、
注射などをするために通院回数が多くなりますし、体への負担も大きくなります。
精子の数が少なかったり、運動状態が良くなかったりする場合は、
卵子の中に直接精子を注入して受精させる顕微授精を行うこともあります。

 なかなか妊娠しない場合、原因が特定できることもありますが、
検査をしてもハッキリと分からないことや、原因が一つでないことも多い
ようです。
そうして何度も検査をしたり、治療をしたりしていくうちに、
1年なんてあっという間に経ってしまいます。
なにしろ、排卵は1カ月に一度なので、1年に12回しか妊娠のチャンスはありません。
特に私の場合は排卵の周期が長いこともあったので、1年に12回もありませんでした。

加えて、少し前に話題になった「卵子の老化」という問題もあります。
卵子は生まれる前に作られているため、本人と同じように年齢を重ねていき、
質が悪くなって、妊娠しにくくなるのです。
そして、いくら年齢が若くても、なかなか授からなくて治療に時間がかかれば、そのぶん卵子は老化していきます。

そう考えると、「若いから大丈夫」とはいえない。
だとしたら、早めに体外受精もしくは顕微授精にステップアップしたい。
そう思いました。

とはいえ、体外受精には、受精させた卵子を入れる培養器や、
その培養器を管理する部屋など、高度な設備が必要となるため、どこでもできる治療ではありません。
通っていた病院にもその設備はなかったので、転院先を探し始めました。
条件は、通院しやすいことと、女医さんであること。

そして、2008年秋に転院しました。
治療を始めて半年ほどが経ったころでした。

体外受精にステップアップ後、思わぬトラブルが

(日経デュアルよりお借りしています)

転院先の病院でも、再び検査を行い、タイミング法からスタートしました。
何度か続けた後、薬で卵胞を育ててからタイミングをとる方法にもトライ。
それでもやはり授からなかったので、いよいよ体外受精にステップアップしました。

ところが、予期しなかったことが起こりました。採卵がとにかくつらかったのです。

体外受精にステップアップしたい。そう思ったとき、私は自分なりに色々調べました。
治療にかかる金額のことや国からの助成金のこと、治療の成功率、体や心への負担……。
そして主人にも相談し、夫婦で納得したうえで、体外受精することを決めました。

もちろん、採卵のことも、雑誌に掲載されていた経験談などを読みました。
でも、「痛くもなんともなかった」という経験談ばかりだったので、
すっかりそのつもりになってしまっていたんです。
同じ治療を受けても、人によってそれぞれ感じ方が違うということはよく分かっていたはずなのに、
そのときはなぜか、「自分は痛いかもしれない」とは思わなかった。
私は小心者なので、初めての採卵がとても怖かった。
だから、「痛くない」と自分に言い聞かせていたのだと思います。

体外受精で薬や注射で育てた卵胞を採取するときには、
麻酔を使う病院と、使わない病院とがあり、この病院は麻酔を使う病院でした。
その麻酔が、どうやら私には合わなかったようでした。

最初は麻酔が効き過ぎて、舌が回らないほどになり、意識も遠のきそうになる。
すると、先生から「寝ちゃダメです。寝ないでください」と言われます。
寝ると出血多量になり、血が止まらなくなる可能性があるからです。

私の場合、多嚢胞性卵巣症候群で卵胞がたくさんあるので、
次回大きく育てたい卵胞に影響が出てしまうということで、
毎回小さい卵胞まで一つひとつ針を差し、すべて採取していました。
そのため時間がかかって、次第に麻酔が切れてしまうのです。
そうなると、冷や汗が出るほどの痛みが襲ってきました。
術中に痛みから逃れようと体が勝手に反応して起き上がろうとしてしまい、
看護師さんに体を抑えられるほどでした。

採卵後も、重い生理痛をさらに強くしたような痛みが続き、
初回は車椅子でリカバリー用ベッドまで運ばれました。
それからも毎回、リカバリー用ベッドで休んでいました。

私と同じように採卵した人たちが、次々と名前を呼ばれて帰っていくのを聞きながら、
「なぜ皆、立って歩けるんだろう」「なぜそんなにすぐに帰れるんだろう」と思っていました。
それでも、私はただただタオルを握りしめて横になっているほかありませんでした。

でも、そんな痛みがあっても、私は採卵できたということがうれしかった
自分の中では、「タイミング法」「人工授精」「体外受精」「顕微授精」は、
それぞれ赤ちゃんを授かるまでのステップの一つと思っていて、
「採卵できるところまで卵を育てることができた」というのは、
また一つステップを上がれたということでした。
その喜びのほうが、体のつらさよりも大きかったのです。

待望の妊娠! けれど、赤ちゃんは育っていなかった

転院してからは、顕微授精も含め体外受精を計5回行いました。
最初の3回は、採卵はできてもうまく育たなかったので、移植もできませんでしたが、
4回目にようやく受精卵になり、妊娠反応が出たときは、本当にうれしかった。
超音波でなかなか赤ちゃんが確認できなくても、
「ステップが一気に上がった!」
「今までは受精卵にもならなかったのに、子宮に戻せた!」と、舞い上がっていました。

けれど、赤ちゃんは育っていなかったのです。
「枯死卵(こしらん)」といって、赤ちゃんが入っている胎嚢だけが大きくなり、
中に赤ちゃんがいないというものでした。
妊娠反応も出るし、つわりも起きるのに、
赤ちゃんはとても早いうちに死んでしまっていました。

先生からは、「枯死卵というウソの妊娠があってね」と話がありました。
その後に次の治療のことも話していたけれど、
まるで耳に水が入ったみたいになって、それ以上、全然耳に入ってこなかった

帰り道では、ずっと泣いていました。色々な歌が頭の中を流れていったけれど、
楽しい歌も、全部寂しい歌にしか聞こえませんでした。
なんとか家に着いても、玄関に入ることができず、長い間その場に座り込んでしまいました。
足が重くて、どうしても、ドアを開けて一歩踏み入れることができない。
なんだか、そのまま今までの生活に戻れる気持ちじゃなかった。
「なんでだろう?」「何がいけなかったの?」
「私、何かしたかな?」そんなことが、頭の中をずーっとグルグル回っていました。

先生は、「赤ちゃんに育つ気がなかったんですよ。あなたのせいじゃないから」と言ってくれました。
移植のときには問題がなくても、枯死卵になることはよくあることだとも教えてくれました。

でも、何も原因がないのなら、じゃあ、私はこれからどうすればいいんだろう?
何に気を付ければいいんだろう? 何ができるんだろう?

そうして、しばらくの間色々考えていましたが、そのうちに、ふと思ったのです。
「あんなに喜んじゃいけなかったんだ」「調子に乗っちゃいけないんだ」と。

私は、プロのスポーツ選手として戦っている夫の横で、
チャンピオンになるという目的に向かっていく姿をいつも見ていました。
そんな主人の姿から受け取ったメッセージは、
「何かを得るためには、何かを捨てなければいけない」ということ。
私は仕事に一区切りをつけて、治療に専念することを決断しました。

私の結論は「諦めない!」ということでした。
ここまでステップを上がれたんだもの、まだまだダメじゃない。
心も体も傷ついたし、たくさん泣いたけれど、私はまだやれる。
やれることがあるなら、全部やろう。そうじゃないと、きっと後悔する。
一つステップを上がったところで、一喜一憂している場合じゃない。

そうして臨んだ5回目の採卵では、分割がゆっくりではあったものの、
初期の胚盤胞になったので移植しました。
しかし、結果として妊娠には至りませんでした。
そのとき初めて、「ココロが疲れた。少し治療をお休みしようかな」という気持ちになりました。
一度、心も体もリセットしてもいいかもしれない。
そのほうが、次のチャンスが広がるかもしれない。
そういう、あくまで前向きな気持ちでしたが、実際にはお休みすることはありませんでした。

 なんと、そのタイミングで、夫のほうから「転院しない?」と提案があったのです。
これが、その先を左右するターニングポイントになりました。
2010年の年末、最初の転院から2年ほどが経ち、私は28才になっていました。

 

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【矢沢心さんも体外受精で妊娠】

日経デュアルで、女優の矢沢心さんの
不妊治療の体験記の連載がスタートしたみたいです。

(日経デュアルよりお借りしています)

http://dual.nikkei.co.jp/article.aspx?id=11076

芸能界でも、森三中の大島美幸さんや元モーニング娘の保田圭さんなど
公表しているだけでも多くなっている不妊。

不妊期を乗り越えたからこそ
このように体験を伝えることができますが
おそらく、多くの方が乗り越えようとしている
最中だったりするこもしれません。

自分やパートナーを信じて
一緒に進んでいくことが
第一歩だということを
この記事からも感じます。

お互いが気を遣い過ぎて
夫婦の関係が悪くなるのではなく

そんな状況だからこそ
お互いが本音で話し合い
より絆を深めてもらう
キッカケにしてもらいたいです。

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下記は、記事の抜粋です↓

4年かけて取り組んだ不妊治療

長女を授かるまで、不妊治療は4年間に及びました。なかなか妊娠できず、やっと妊娠したと思ったらうまくいかず……。
「必ずこの手に赤ちゃんを抱く」と決めて、そこに向かってどんなときも進んでいこうと心に誓っていましたが、さすがに落ち込むときもありました。
そんなときは、「同じ境遇で語り合える人や、気持ちを分かってくれる人がいたら…」と思いました。

当時、待合室にいると、同じように授からなくて悩んでいる人がたくさんいることに気付きました。
念願かなって赤ちゃんを授かり、出産してから、少し気持ちに余裕ができたことで、もしかしたら私の経験が励みになることもあるかもしれないと考えるようになりました。
悩みを解決するキッカケになるかもしれない。そう思って、情報を発信するようになりました。

今は、1人目の不妊だけでなく、1人目は自然に授かったのに2人目が授からなくて悩んでいる人も多いと聞きます。
人それぞれ悩みは違うものですが、私の経験をお伝えすることが、少しでもお役に立てればいいなと思っています。

高校生のときに発覚した「多嚢胞性卵巣症候群」

そもそも、私は「多嚢胞性卵巣(たのうほうせいらんそう)症候群」でした。
多嚢胞性卵巣症候群とは、排卵障害の原因の一つとなる病気です。
卵巣の中にある卵胞は、本来そのうちの一つが成熟して排卵されますが、
多嚢胞性卵巣症候群では、卵巣の中で卵胞が鎖のようにつながっていて、どれも成熟せず、排卵もされないのです。
そのため、次第に卵巣の表面が硬くなって、さらに排卵しにくくなります。

多嚢胞性卵巣症候群の症状は、生理不順や無月経です。
私の場合、思春期になって生理が始まりましたが、
すぐに来なくなり、来たり、来なかったりを繰り返して、だんだんとその間隔が長くなっていきました。
これはおかしいと思い、受診しようと思って病院を探しましたが、当時は「産婦人科」として「産科」と「婦人科」が併設されているところがほとんど。
「高校生なのに妊娠したの?」と思われるんじゃないかと思って、すごく受診しづらかったです。
意を決して受診したのは、18才のとき。そこで多嚢胞性卵巣症候群と診断されました。

そのときの先生からは、ピルを飲むように指示されました。
ピルを飲むことで、ホルモンバランスが整い、生理周期が規則正しくなるという話でした。
あまり飲み続けると、体が自分自身の機能として生理を来させることができなくなるため、
3カ月続けて飲んだら休み、生理が来なかったらまた飲むというやり方でした。

ただ、そのころの私は、「毎日ちゃんと飲まなきゃ! 飲んだらちゃんと生理が来る!」と思っていただけでした。
生理が毎月来るというのはどういうことか、それがどんなに重大なことか、考えたこともなかった。ただ言われるままに薬を飲んでいました。

夫と出会って暮らし始めてからは、避妊に気を付けていた

夫の魔裟斗さんと出会ったのは、そんな最中の19才のときでした。
私は免許取りたてで、高速道路を運転して友人との待ち合わせに向かっていました。
そうしたら、突然車がオーバーヒート。
あわてて高速道路を降り、友人に来てもらってJAFを待っていたところに、偶然通りかかったのが彼だったんです。

彼は、友人の友人でした。このとき全くの初対面だったのですが、
なぜか「この人と結婚するんだろうな」と予感しました。不思議ですね。

それから時々会うようになって、やがて付き合うようになりました。
実は、夫は「昭和の男」(笑)。
自分の気持ちを言葉にすることはあまりなくて、「男は黙ってやるべきことをやればいい」ってタイプです。
だから、付き合うときは私からアピールしたんですよ。

「(付き合う相手として)私、どうですか?」って言ったら、彼は「うん」と言うだけ。
「うん、じゃなくて」と食い下がっても「いいんじゃない?」って。
気が付けば2人で大笑いしてました。

一緒に暮らし始めたのは、付き合って1年後の20歳のとき。
私は1人暮らしをしていたのですが、ストーカーに遭ってしまって。
怖い思いをしたので、一緒に暮らすことにしました。
でも、彼は将来まで真剣に考えていて、「同棲する=いずれは結婚する」と思ってくれたようでした。
それならお互いの両親にあいさつしようということになり、彼の両親に会いました。
そのとき、彼の母から「一緒に暮らすのはいいけれど、予期しない妊娠はしないようにしてね」と言われたんです。

当時の夫は、現役で活躍していた勢いのある若手格闘家。
これからK-1のトーナメントにも挑戦しようという時期でしたから、素直に「そうだなぁ」と思いました。
現役のスポーツ選手というのは、体調管理はもちろんですが、メンタル面での調整にも過酷なものがあります。
もし赤ちゃんが生まれても、夫はあまり赤ちゃんとの生活を楽しめないだろうし、私自身も夫のケアと赤ちゃんのお世話で余裕がなくなる。
それに、まだ結婚ではなくて一緒に住んでいるだけの状態。赤ちゃんができてしまったら、様々な面で迷惑もかかってしまう。
夫の母は、夫と私、どちらのことも考えてアドバイスしてくれたんだと思いました。

飲み続けていたピルには避妊の効果もあります。
それまでは、仕事が忙しかったりすると飲み忘れることもしばしばでしたが、それからは飲み忘れないように細心の注意を払うようになりました。
「飲み忘れたらどうなりますか?」と先生に聞いたとき、「飲むのをやめて3カ月ぐらいから妊娠しやすくなる」と言われたのが、
自分の中では「飲み忘れたら妊娠しちゃう!」と誤ってインプットされていて、そのころは「飲み忘れちゃいけない!」とビクビクしていたほどです。

よく考えてみれば、排卵しにくくて、生理も来ていないのですから、おかしいですよね。
妊娠するわけがない。それなのに、そのころの私はずっとそう思っていたんです。
「赤ちゃんは自然とできるもの」というイメージもあったと思います。
そのぐらい、自分の体の仕組みについて、本当に無知でした。

思い返すと、なぜ赤ちゃんができるのか、家庭はもちろん、学校でも詳しく教えてもらったことはありません。
知っていたのは、「精子と卵子が出会って赤ちゃんができる」という程度の知識でした。
排卵して、卵子が精子と出会って、受精して、子宮に着床して、一つひとつのことがすべてうまくいって、
はじめて赤ちゃんができる。そのことを知らなかったから、「排卵しにくい」と言われて、
「赤ちゃんができにくい」と頭では分かっていても、現実のこととして結びついていなかったのです。

だから、今、「なかなか授からないけれどどうしよう……」と迷っている方がいたら、ぜひ検査を受けてほしいと思います。
女性も男性も、自分の体を知るということは妊娠への近道になると思います。

結婚したのに授からない……もしかして不妊?

夫とは、5年間の同棲を経て、2007年に結婚しました。私が25才のときです。
「もう、いつ赤ちゃんを授かってもいい」と思い、ピルを飲むのをやめました。
それなのに、妊娠しやすくなるといわれた3カ月が過ぎても、妊娠しない。
半年経っても授からない。
このころ、からだの冷えを改善するために漢方薬を飲み始めましたが、1年待っても、何の兆候もありませんでした。

周りにもなかなか授からないという友人がいて、
「結婚して2年経っても赤ちゃんができないのは不妊らしい」と聞き、「私もそうなのかも!」と思いました。
それで、ピルを処方してもらっていた病院に相談してみることにしたのです。
そこは不妊治療もしている病院でした。
先生は、「(まだ若いから)そんなに急がなくても大丈夫」と言いましたが、まずは人工授精から始めることになりました。

私は20代半ばでしたし、結婚して1年でしたから、確かに不妊治療を始めたのは早いほうだと思います。
でも、「夫の遺伝子を受け継ぐ赤ちゃんが欲しい。そのためにできることがあるなら、早いほうがいい」と思ったのです。

夫のおじいさんは太平洋戦争で亡くなったそうです。
でも、戦争に行く直前に夫のお父さんが生まれていて、そして夫が生まれました。遺伝子って、そうやってつながっていくんだなぁ。
私の大事な人である夫も、つないでもらったからこそ、今ここにいてくれるんだなぁ。
そう思ったとき、私も夫の遺伝子を残したいと思いました。
もしいつか大事な人が亡くなってしまっても、子どもがいれば、その遺伝子は受け継がれて、大事な人の何かはずっと残っていく。
だから、残したいと決めたなら早く行動したほうがいい、というのが私の気持ちでした。

通っていた病院の待合室や診察室には、そこで治療をして授かった赤ちゃんの写真がたくさん貼られていました。
「生まれました。先生のおかげです」というような感謝のハガキも貼られていて、
「自分もこうなるんだな」「きっとハガキを送っちゃうな」なんて思って、なんだかウキウキしていたのを覚えています。
このときの私は、ぼんやりと、「治療さえすれば授かる」と思っていたんですね。
それが、まさかあんなに長い闘いの始まりになるなんて、思いもしていませんでした。

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【オススメ絵本『このママにきーめた!』】

 

人気の絵本作家「のぶみ」さんの最新絵本
『このママにきーめた!』を読みました♪

 

短い絵本ですが
笑いあり、涙ありの素晴らしい絵本でした( ´ ▽ ` )

娘も、今お腹の中にいる赤ちゃんも
おそらくそう決めておりてきてくれてるんだなぁと思うと
見かたが変わりますよね。

ましてや
「ママを喜ばせるために産まれました」とか
本当にすごい使命ですよね。

ぜひ、妊活中のあなたも読んでみてください。

何かが変わるかもしれません。

僕も胎内記憶を知ってから
催眠誘導で胎内に戻るワークをしたら

やっぱり同じような感情や
使命を持っていたことに気づきました。

 

ママを喜ばすステップをクリアーできたから
今の使命を生きているんだとも思えました。

自分の命を輝かせて
一人でも多くの方の役に立てるように頑張ります♪

P.S.

「このママにきーめた!」と声に出した時
「このままにきーめた!」という
フレーズの方に意識がいきました。

そこから
「ありのままを受け入れればいいんだな」と
展開していきました。

今回の絵本とも少し共通する部分かもしれませんね♪

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